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これも文化人類学の思考法

これも文化人類学の思考法 これも文化人類学の思考法

 7年前の正月、例年通り、伯父の家へ挨拶しに行ったときのことだった。日本語で「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。」とクンチョルもどきのお辞儀をすると伯父が「ところで、お前はいくつになった?」と訊ねてきた。「おかげさまで20歳となりました。」と答える。
「そうか、選挙権を貰った歳になったか。お前も大変かもしれないけれど選挙には必ず行かなきゃだめだよ。伯父さんはいまの政治についてこう思うんだ。」といままで聴いたことのなかった伯父の政治話をとうとうと語られた。

 毎年、行っている正月の挨拶で選挙権のない身内がいると実感させられた。その日以来、投票箱に自ら書いた名前を投じるとき、「これはわたしだけの1票ではない。」とさまざまな念を込めている。

 7年前のことから選挙で投票するときの心うちを思いながら『文化人類学の思考法』の第13章である「市民社会と政治 牛もカラスもいる世界で」を読んでいると、ある一節がとても気になった。

 「私が参加したデモでは、『国民舐めるな』というコールがあり、政府の政策に抗議する参加者の声はそこで一段大きくなった。別の理由で国会議事堂の近くにやってきて、デモに遭遇した外国籍の友人は、政策には賛同できないが、「国民」という単位で法案に対する抗議をするかのようなコールを、参加した人たちが一体となって連呼する姿に、自分の居場所のなさを感じた、と私に語った。」

 まだ学生だったわたしはデモに参加するというよりもあの場でいったい、何が起きているんだろうという好奇心で国会議事堂前にいた。最寄りの地下鉄の駅からやっているひとびとを、制服警官たちが「デモにいらした方はこちら!そうではない方はあちらをお通りください!」と案内している姿がとても印象的だった。

 「あちら」を通りながら遠巻きにデモの様子を観ていると、「民主主義ってなんだ!」「これだ!」という若くて大きな声が聴こえてくる。
その声を聴いて、「なんでこんな自信満々に言えるのだろう・・・・・。」と思っていた。もし、選挙権のない伯父から「この国に民主主義があるのか?」と問われてしまったら答えに詰まってしまうからだ。
それと同時にコールを耳にして、すでに「国民」であるはずのわたしも排除されてしまったような気分に陥った。「いったいあれはなんだったのだろう」と思いながらその場で立ち尽くしていたことを憶えている。

 改めてどうしてなのかと頭のなかをさらってみるために本を閉じ、自らの記憶に訊ねてみた。

 正月のあのときから数年が経ち、選挙に行くことから出ることのできる年齢になろうとしていたときのことだった。日本国籍を取得して、政党の運動員として選挙活動を手伝っているという在日の女性に出会い、話を聴いた。

 彼女が候補者のビラを配っているとき、通行人が興味を持ったのか、ビラを片手にいろいろと話しかけてきたそうだ。そのとき、彼女は「実はわたし、日本に帰化した在日なんです。」と語った。すると「なんで在日のひとが日本の政治に口を出すの。」と通行人がひとこと言って、どこかへ行ってしまったという。

 話を聴いて「このひともそうだったか」と思った。20歳のときから似たような話をたくさん聴きつづけていたからだ。
 「民主主義ってなんだ!」「これだ!」というコールで味わった気分の原因はここにあるのではないかとこの本を読み、自らの記憶を探るなかで教えてもらった。

 これも文化人類学の思考法なのだと思う。

 

(金村詩恩)

 

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