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戦前から昭和末期までコリアンとともに歩んだ「上甲米太郎」

戦前から昭和末期までコリアンとともに歩んだ「上甲米太郎」 戦前から昭和末期までコリアンとともに歩んだ「上甲米太郎」

チョンソンです。

ようやく春めいてきましたね。ああ、鎮海の桜まつりに今年も行けなかった……。

 

 前回のブログでは「高麗博物館」https://kouraihakubutsukan.org/ 前館長の樋口雄一さんに教えていただいた、植民地時代の朝鮮について紹介しました。

 

実はこの時樋口さんは、朝鮮人と連帯した日本人として

【上甲米太郎(ジョウコウ ヨネタロウ)】

という人物の名を挙げていたのです。

 

 えー……誰?

 

 そんな人がいたことを全然知らなかったので、樋口さんや米太郎の娘で女優の上甲まち子さんらが手がけた、

『植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師  上甲米太郎』(大月書店)

出展:Amazon.com

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b61452.htmlを読んでみました。

 

 1902年に生まれた米太郎は20歳の時に朝鮮で教師となり、慶尚南道の農村では校長をつとめていました。

しかし1930年12月に治安維持法で逮捕されて、西大門刑務所に2年間も収監されることに。

西大門刑務所 出展:http://konotabi.com/seoulprison/1top/prison1top.htm

出所後は内地に戻り、北海道釧路の太平洋炭鉱と九州大牟田の三井三池炭鉱で労務係となり、朝鮮人労務者とともに過ごしていたことがわかっています。

 

 この本によると米太郎はとにかく、朝鮮語が堪能だったそうです。

授業は朝鮮語でおこない、ほかの日本人が日本人だけで固まって暮らしている中、朝鮮人の家に下宿して朝鮮式の食事をしていました。

 当時の朝鮮では学校に子どもを通わせられる家は豊かな階層だったものの、日本からみると貧しい小作人の家が多く、地主からの締め付けに苦しんでいました。

それゆえ、米太郎が授業で大化の改新の「皇族・豪族の私有地と私有民をすべて廃止」という部分を教えた際、生徒から「今日それはできないことでしょうか」という声があがりました。

これを聞いてハッとし、生徒たちの苦しみを受け止めながら

「社会を改革しうる熱のない自分はせめて改革者の父にでもなりたい」

と願ったそうです。

そして彼はプロレタリア教育の普及を図るための雑誌『振興教育』を愛読し、匿名で金儲けにしか興味のない内地人校長を批判する投書をしたり、本を通して教員たちに社会主義闘争を呼び掛けたのですがーー。特高に目を付けられ、元教え子らとともに逮捕されてしまうのです。

 終戦後の1949年に彼は炭鉱を解雇されるのですが、そのあとは大牟田市内の在日集住地域に暮らしながら子どもたちのために紙芝居屋をやったり、在日の相談相手になったりしたのち、1987年に86歳で亡くなっています。

 

 と書いていくと高潔でまじめ一筋の人に思えますが、全然そんなことはありませんでした。

 彼は20歳の時に慶尚南道の咸安というところにあった公立学校に赴任するのですが、ここで出会った女生徒にいきなり惚れてしまいます。

とはいえこの頃の朝鮮人で学校に通えた人は少なく、生徒の中には大人もいました。

その相手の金さんも、米太郎より数歳年下ぐらいの女性だったそうで……(ああ、良かった)。

この本には米太郎が遺した日記が紹介されているのですが、彼女と結婚しようかと悶々と悩んだかと思いきや、他の女性のことも気になっていたことも書き遺していているのです。

またある時はカフェーの女給のMちゃんが気に入り、店に入りびたっていたこともわかっています。当時のカフェーは今のカフェとは違い、女性が隣につくキャバクラみたいなところでした。

米太郎は見習士官として京城(ソウル)の龍山にいたのですが、「地図を買いに行かねばならんという勝手な理由のもと」に兵舎を抜け出したり、「金を調べてみるとやっと27銭ある。これだけあればソーダ水を飲むだけの金はある」と、有り金をはたいて通い詰めていたようです……。

 

 しかしこのような飾らない記録を目にすることで、モノクロの景色しか見たことがなかった植民地時代の朝鮮半島を、鮮やかに想像することができます。

そして彼が朝鮮服を着て内地に戻った際、「誰もがよく似合うと喜んでくれた」けれど10回も職務質問に遭っていたことなどから、日本人が朝鮮人に心を寄せることが厳しい時代だったこともわかります。

 

 一介の教師で、しかも途中で辞めざるを得なかった彼は、金子文子のように派手に戦ったわけでも、布施辰治弁護士のように独立運動のを支えたわけでもない。

金子文子 出典:Wikipedia

布施辰治 出典:http://www.fuse-tatsuji.com

だめんずな面もあったけれど、人間臭くて愛情深くて立場の弱い人間を差別しない。

そんな人物だったことがわかるし、そういう人は今この時代にも必要なのではないかと思います。

 時代を良くするためにはヒーローやリーダーも確かに大事だけど、悩んだり迷ったりしながらも学び続け、自分よりも弱い立場の人たちを尊重する気持ちを失わない、「普通の人」の存在が不可欠なのではないかと米太郎を通して思いました。

ではそんな普通の人でいるためには、一体何が必要なのか……。

私もまだわからないので、一緒に考えていきましょう。

ではまたアンニョン。

 

(チョンソン)

今回ご紹介した本はこちら↓

https://www.amazon.co.jp/植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師-上甲米太郎-上甲-まち子/dp/4272540475