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『GO』(2001)

『GO』(2001) 『GO』(2001)

『GO』(2001)

原作:『GO』(2000、金城一紀)
脚本:宮藤官九郎
監督:行定勲
主演:窪塚洋介、柴咲コウ

 

本作は、中学まで朝鮮学校に通い、高校から日本学校に通い出した主人公・クルパーこと杉原(窪塚洋介)が自身の「在日」というアイデンティティに葛藤する青春ドラマである。

本文では、私自身の体験談をこの映画とリンクさせながらダラダラと記述していこうと思う。

本作は私が初めて観た「在日」映画だ。 2001年に、大学一年生で上京したての私は日本人の友人と渋谷の東映の劇場にて本作を観賞した。

今観直すと、なんというか割とポップな演出・芝居の作風で、まぁこういう主題の作品を日本人の観客に抵抗なく観てもらうための常套手段ともいえなくはないものの、あまり私好みではない。しかし、初めて観た当時はとても面白いと思ったのと同時に、なんだか自分たち「在日」の葛藤をこの映画が代弁してくれているみたいで、とても嬉しかったように記憶している。

私が本作において好きな点の一つは、名言の引用だ。
例えば冒頭にこんなテロップで劇が始まる。

 

「名前ってなに? バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても、美しい香りはそのまま」
ーー「ロミオとジュリエット」シェイクスピア

 

例えば、劇中にこんな台詞がある。

「マルコムXは言った。『私は自衛のための暴力を暴力とは呼ばない。知性と呼ぶ』」

 

特に前者の引用。
私は朝鮮学校に通ったことがないので実際のところは知らないが、朝鮮学校内では日本語を喋ってはいけないという規則があるらしい。

男子生徒(新井浩史)が朝鮮学校内で日本語を喋っていたと、クラスメイトの女子が担任に告げ口するシーンがある。先生に何と言ったのか質問されると、

男子生徒は「『めっちゃうんこしてぇ』ラゴ へッスムニダ(と言いました)。めっちゃうんこハゴシッポッスムニダ(したかったんです)」と答える。

朝鮮語で「トン サゴシプタ(うんこしたい)」というと「めっちゃうんこしてぇ」という緊迫したニュアンスがいまいち伝わらないから、日本語で「めっちゃうんこしてぇ」と言ったとのことだ。

この台詞は、いかにも宮藤官九郎らしくユーモアたっぷりで大好きなのだが、そう、何が言いたかったのかというと、

 

「名前ってなに? バラと呼んでいる花を『うんこ』という名前にしてみても、美しい香りはそのまま」
ーーちぇ・じょんほん

 

なのである! 国籍なんて関係ない。俺は俺だ。そんな本作の主題である「アイデンティティ」をこの冒頭の引用は突きつけてくる。

少し乱暴に言ってしまえば、この冒頭の引用がこの映画でやろうとしていることの全てだといっても過言ではない。

 

劇中に、主人公の杉原が恋人の桜井椿(柴咲コウ)に自身が少し前までは朝鮮籍で現在は韓国籍であるという出自を告白するシーンがある。椿は、杉原が韓国人という事実を知って杉原を拒絶する。初見の際、私はこのシーンがどうしても理解できなかった。

 

本作を初めて観た頃の私は、自分の家族以外の「在日」と接した経験がほとんどなかった。出身地の札幌は全国的にみて「在日」人口が極めて少ないのも理由の一つかもしれない。
私は「通称名」を持っていないので幼い頃から本名を日本の学校で名乗っていたわけだが、小学生くらいからはその事でいじめられたりと嫌な思いをしたことがあまりない。上京するまでに札幌でお付き合いした女性も皆日本人だったが、自分の国籍のことで嫌がられた経験はない(少なくとも私はそう感じている)。

 

椿「パパがね、中国人や韓国人とは絶対に付き合っちゃいけないって言うの。彼らは血が汚いって言うの」

 

こんなこと実際にあるわけないじゃん。韓国人っていうだけで、大好きな恋人を振るわけないじゃん。初見の際の私の感想だ。

しかし、上京してから「在日」の学生の集まりにも時折参加するようになり、全国の「在日」の大学生とディベートする機会を持つようになった私は様々なカルチャー・ショックを受けた。
その中の一つが、この映画のように自分が実は韓国人であると恋人に告白したら即座に振られたという体験談だった。しかも少なくない人数からそういった体験があるという話を聞き、この映画のようなことが実際にあるんだと知った。

そして、私自身も30歳を越えてから、お付き合いしていた日本人女性から「おばあちゃんに韓国人との結婚は絶対に駄目って言われた」と言われ、映画『GO』のこのシーンがフラッシュ・バックしたのを今でも覚えている。
なぜ駄目なのか理由を聞いたが、そのおばあちゃんは理由は教えてくれなかったらしい。

この映画でひどく主人公の杉原に共感したシーンがある。

杉原が椿に拒絶され、深夜に徒歩で帰宅している最中、警察官に身分証明書を提示するよう求められるシーンだ。杉原は突如その警察官を突き倒し猛ダッシュで逃げようとする。警察官は倒れ気絶するのだが、良心が勝った杉原はその警察官が心配になり目を覚ますまで側にいてやる。警察官が目覚めてから、何故逃げようとしたのか理由を説明する。

 

杉原「外国人登録証を持ってなかったから焦った」
警察官「所持してないと、何か罰則でもあるの?」
杉原「一年以下の懲役もしくは20万円以下の罰金」
警察官「まじで? 日本で生まれて、ずっと日本で生活してるのに? じゃ、逮捕しちゃおうかな」
杉原「いやいや、知らなかったでしょ」

 

私もこれに似た出来事を何度か体験していたので、このシーンはよくぞやってくれた! と 当時は嬉しく思った。

ちなみに私の体験はこんな感じ。
日がそろそろ沈みそうな夕暮れどきに自転車に乗って池袋の街を走っていると、ライトを点灯し忘れていることで警察に止められる。そして、自転車の防犯登録の確認のため氏名を聞かれ身分証明書の提示を求められるのだが、私は「ちぇ・じょんほん」と名乗り、運転免許証を見せる。

 

「君ナニジン? 何しに日本に来てるの?」
「や、『在日』ですけど。特別永住権あります」
「ガイトー(外国人登録証の略)見せて」
「自宅にあります」
「は? 常に持ってなきゃ駄目だろう。罰金で20万円とるぞ!」

 

初めてこういった体験をしたときは、『在日』は常に外国人登録証の携帯義務があることを私は本当に知らなかったし、私の親も知らなかった。

海外に出国する際に我々「在日」は旅券と外国人登録証をセットで提示する必要があり(少し前まではこれに加え再入国許可証も必要だった)、失くすと面倒なので持ち歩いたりせず旅券と一緒に自宅に保管しておくよう親に言われていたくらいだ。親も日本生まれ日本育ちなのだから、まぁ誰も教えてくれたことのない携帯義務なんて知ったこっちゃなかったのだろう。

 

私が腹が立ったのは、警察官の上からの高圧的な言い方だ。たしかに無知であった私にも非はあるが、「罰金で20万円とるぞ!」はないだろう。日本の歴史教育はやばいなとこのとき身をもって感じた。

ちなみに現在は「外国人登録証」から「在留カード」という名称に変わり、常時携帯義務はなくなった。にもかかわらず、職質にあったときに在留カードを持っていないと、本当に特別永住権を持っているのか在留カードを確認するために家までついていくという警察官に出くわしたこともあるし、未だに常時携帯義務があると言いがかりをつけてくる警察官に出くわすこともある。

いけない。なんだか、被害妄想文みたいになってきてしまった。書く前に構成等を考えずに殴り書きするとこうなってしまうのがオチだ。
取り止めがないので、劇中の少し恥ずかしいけど、少しかっこいい台詞で幕を閉じよう。

 

「俺は朝鮮人でも日本人でもない! ただの名無し草だ!」

「俺はナニジンだ? 俺は何者だよ?」

「どうして何の疑問もなく俺を『在日』と呼べる?」

「俺が怖いんだろ? 名前つけなきゃ不安でしょうがねーんだろ?」

「俺はライオンだ! ライオンは自分をライオンだと思ってねえからな!」

「俺は俺だ! 『在日』でもエイリアンでもない! いや、俺は俺であることすら捨ててやる! クエスチョンだ! はてなマークだ! 『物体X』だ! どーだ? こえーだろ? なんなんだよ、ちくしょー!!」

 

「円の外には手強い奴がいっぱいいる。ぶち破れ、そんなもん」

 

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崔 正憲  (ちぇ じょんほん)

札幌出身の在日三世。

2005年 学習院大学経済学部経営学科 卒業
2015年 日本映画大学脚本・演出コース 卒業(一期生)

監督作品 『熱』(2015) 第9回 TOHOシネマズ学生映画祭 準グランプリ、第19回 水戸短編映像祭 準グランプリ 『DUEL』(2013) 『ナニジン』(2013)