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いまこそ、掛け軸をはがせ

いまこそ、掛け軸をはがせ いまこそ、掛け軸をはがせ

特別司法警察職員という存在をご存じだろうか。

これは、警察官ではないが、警察官と同様に、事件の強制捜査、被疑者の逮捕といった権限を持っている公務員のことだ。

海上保安官や厚生労働省に所属する麻薬取締官などがその代表例だ。さらに身近な存在として、労働基準監督官の存在も忘れてはならない。

通称「労働Gメン」。

各地の労働局や労働基準監督署に配置され、”職場”における「働かせ方」に目を光らせている。

労働者からの通報を受け、職場の環境に問題があると判断すれば捜査をおこない、悪質なケースにおいては経営者を逮捕することも可能だ。労働Gメンは拳銃こそ所持していないが、手錠や腰縄の使用は認められている。

労働Gメンにそこまで強い権限が与えられているのは、職場の環境と労働者の人権を守る労働法が、それだけ社会的に重要なものだと位置づけられているからだ。

私は週刊誌記者だったときから労働問題に強い関心と興味を持って取材してきた。その経験からいえば、日本の労働法は先進国の中でも非常にすぐれた仕組みを持ったものだと認識している。地域で定められた基準以下の賃金、休日も休憩もない過重労働は罰則の対象だし、必要以上に働かせた場合には割増賃金の支払いも義務付けられている。

覚えておくべきだ。賃金の未払いなどは、ときに逮捕の対象となる悪質な”犯罪”なのである。

しかし──れほど厳格な取り決めがありながら、内実がともなっていないところに、日本社会の問題がある。無免許の人間に高級車を買い与えても意味がないのと同じだ。

法律の枠組みが優れていても、日本の雇用環境は最悪だ。長時間労働、サービス残業が横行し、一方的な首切りも少なくない。非正規労働者の割合は増え続け、いわゆる「雇止め」によって、なんの補償もなく突然に職場を追い出される者もいる。この世には”犯罪”と理不尽が満ち満ちている。つまり、法律がまるで機能していない。だから労働基準監督官が携帯する黒い手錠も、ほとんど使われることなく単なる飾りと化しているのが現状だ(労働法による逮捕事例は年に数件程度)。

内実が伴っていない理由は様々だ。告発を許さない企業体質、摘発する側の人手不足(公務員制度改革で、労働基準監督官の人数は減り続けている)、雇用主と労働者の力関係。さらには労働法に対する無知と無関心があろう。問題は、こうした社会風土を”利用”し、法律そのものの形骸化を図る者たちが少なくないということだ。

それがもっともわかりやすい形で表れているのが、外国人労働者の職場である。なかでも外国人技能実習生(主にベトナム人や中国人)の職場環境は、一部の例外を除き、不当・不法のオンパレードだ。

私は90年代末から実習生の雇用問題を追いかけているが、どれだけ法整備がされようとも、劣悪な労働条件は変わっていない。時給400円程度の低賃金労働、サービス残業、パワハラやセクハラはもはや常態化している。

東海地方の縫製会社で実習生を雇用する経営者に、なぜ低賃金を強いているのかと聞いたとき、予想もしなかった答えが返ってきた。

「ガイジンにも労働法が適用されるんですか?」

何の躊躇もなくそう話す経営者を前にして、唖然とするしかなかった。法への無知に驚いただけではない。「ガイジン」を法の外に追いやっている、その差別と偏見に満ちた認識に、私は気持ちがザラついた。

同じく実習生を雇用するある自動車関連企業を取材したときもそうだった。私は偶然にも、経営者が中国人実習生をビンタする光景に出くわした。なぜ体罰をするのかと経営者に訊ねると、「言うことを聞かないからだ」と返答があった。私は重ねて聞いた。

──日本人の社員にも体罰を課すのですか?

「それはない」

──では、なぜ彼らだけ例外なのか?

「外国人だから」

まるで答えになっていないが、経営者が言わんとすることは伝わった。つまり、外国人には「例外」が通用すると思っているのだ。もちろん背景にあるのは外国人(なかでもアジア人)を見下す差別心である。

日本の労働法では外国人であることを理由に労働条件に差をつけることは許されていない。実習生であろうが、あるいは無資格滞在(いわゆる不法就労)であろうが、等しく労働法が適用される。でありながら、実習生職場の多くでは、法律が完全に無視されている。

「外国人だから」──。差別と偏見は、こうして無法を生み出す。

こうした被害を受けるのは、ニューカマーの外国人だけではない。

東証一部上場企業でもある大阪の住宅会社では、在日コリアンの社員がいるにもかかわらず、韓国人を貶めるような文書(社長の雑感をまとめたもの)の閲覧を社内で義務付けた。いわばヘイトスピーチを在日の社員に見せつけたのである。これは労働法の問題というよりも、れっきとした人権侵害だ。これによって在日コリアンの社員は会社に対しる総ん外賠償を求める裁判を起こした(現在係争中)。

私はこの社長にも取材したが、ことの重大さ、悪質性に関しては何も理解していなかった。厳密にいえば、この社長もまた、一昨年に成立したヘイトスピーチ解消法の理念に違反している。

繰り返す。

私たちの社会には、不当を許さない法律が存在するにも関わらず、それがまるで生かされていない。どんなに美文で飾られていても、どれだけ崇高な理念があったとしても、社会の意識はまるで追い付いていない。法律は掛け軸じゃない。あらゆる理不尽から人間を守るときにこそ、効力を発揮する。

法を生かす。

人間を、社会を守る。

そのために必要とされるのは、その使い手である私たちの意識だ。そう、私たちは手にした武器の存在すら、ときに忘れている。使い勝手が悪ければ、それを訴える自由もある。新たな制度を設ける権利もある。

不当な「働かせ方」も、理不尽な差別も偏見も、仕方ないとあきらめてしまったときから法律は形骸化する。事実上の無法が生まれる。

最近もまた、街中で「外国人は出ていけ」と叫ぶ隊列を見た。その醜悪さと同時に、こうした無法ぶりを許容する社会にも腹が立った。なんのためのヘイトスピーチ解消法なのか。なんのために日本は人種差別撤廃条約を批准しているのか。

はっきりしていることがひとつある。

「殺すな」「生きさせろ」と叫ぶ権利は誰もが有している。いや、声に出そうが出すまいが、この社会に生き続ける自由は誰であっても侵すことはできない。

だからこそ私は社会に訴える。掛け軸をはがそう。

水を与えよう。魂を入れよう。

法律は生きてこそ意味がある。

(安田浩一)

安田浩一/ジャーナリスト
1964年生まれ。週刊誌記者を経てフリーランスに。「ネットと愛国」で講談社ノンフィクション賞、「外国人隷属労働者」で大宅ノンフィクション賞(雑誌記事部門)を受賞。