第三期(1982~1983)

1982年 4月25日の第3回定期中央大会にて“壮大な未来創造の為に高らかにその出発を告げる”第三宣言文で方向性をより鮮明化し、前副会長の鄭夢周君を三代目の会長として選出しました。

新執行部の発足後の最初の課題は、日本国社会科教科書の史実歪曲問題でした。
韓国のみならず中国、タイ、シンガポール等の日帝侵略の傷跡を持つ国々をも巻き込んだこの事件に対し青年会も緊急の対応を取り、文部大臣宛ての公開質問状を提出し、更には 9月 1日、「日本国教科書史実歪曲完全是正要求在日韓国青年学生代表者集会」を開催し、全国から150名の青年が直接文部省に赴き、在日同胞青年の怒りの声をぶつけたのです。この教科書問題を内部的に転化した後に提起されたのが「我々の歴史を取り戻す運動」でした。

 他国や他民族に歪曲されることのない在日同胞自身の歴史を記そうとのスローガンの下に、全国的な実態調査を展開したのです。青年会としても初めて科学的且つ本格的な社会調査事業であり、約50項目の質問をマンツーマン方式を駆使し、最終的には1千名以上の同胞からの調査票を作成、回収しました。これらの作業を通じて二・三世青年と今日の基盤を築いてこられた一世の方々との間に対話がなされ、青年達に深く歴史認識が根付き、未来への“礎”としての同胞史を編纂してゆくのです。

 翌年には、指紋押捺及び常時携帯義務を課した外国人登録法の改正運動に全面的に取り組んでゆきます。民団の提唱した「指紋押捺・常時携帯制度撤廃100万人署名運動」に基軸を合わせ、自らも自主目標を20万人分とし、署名運動に突入していったのです。この膨大な数を達成すために、機動部隊として「日本縦断自転車部隊」を構成、北は北海道から南は沖縄まで縦断しながら署名を集め、同法の改正を訴えてきました。

 同時に、この問題について研究を重ねてきた知識人・運動家・弁護士を講師に招き、巡回講演会を開催、理論面での強化も図りました。そして全国の青年会員が街頭に出て、同法の改正を訴え、日本国民に署名を募ったのです。この運動は「KAL撃墜事件」・「ラング-ン爆弾テロ事件」という二大悲劇に遭遇しながらもよくそれを乗り越えて推進されていきました。そして、12月11日の「12・11外登法改正を要求する在日韓国青年代表者集会」にて、17万名分の署名を確保し、法改正に向けての青年会の不退転の姿勢を広く内外に誇示しました。

 外登法改正運動への取り組みと並行して、来たる「91年問題」を視野に入れた研究機関としての居住権専門委員会の設置も確認され、長期的展望に立脚した未来像構築への足がかりとしていったのです。

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