富士山は遠くで観るから綺麗に観える

2018年11月23日

 1月1日、少し遠くに住む伯父の家へ挨拶しに行く道中、何百キロ先にあるはずの富士山がよく観える場所を通る。

山と言えば、成層火山のあのフォルムでなければしっくりこないようで、以前、漢拏山を観たとき「何か違う。」と思った。

 私が初めて、富士山の5合目に行ったのは小学校のときの林間学校だった。冬になると観えるあの綺麗な山へ行けると思っていたのだが、実際に行ってみると、何かがあるわけではないし、ゴミが不法投棄されている場所はあるし、無駄に人が多い。

「なんだ、富士山よりもインターチェンジの近くにあった富士急ハイランドのほうが楽しそうじゃん。」と思ったものだ。

 富士山に行くと頭のなかで思い描いたイメージと実際にそこにあるものが違うことにガッカリする人がいるという。

富士山は遠くから観ている分にはいい。だが、近くで観ているとちょっとだけ嫌になる。

 だけれども、こういう考え方もできる。

「自分が近くで観たからこそ、ちょっとだけ嫌いになれた。」と。

『こんな夜更けにバナナかよ』は北海道に住んでいた筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんと彼を支えるボランティアたちを書いたルポルタージュだ。このタイトルは鹿野さんが真夜中に突然、ボランティアに「腹が減ったからバナナを食う。」と言い始めたエピソードからつけられた。どんなに「善人」のボランティアでも眠たい時間にそんなことを言われると腹が立つ。無言で鹿野さんにバナナを1本食べさせると彼はこう言った。

「国ちゃん(バナナを食べさせたボランティアの人の名前)、もう1本」
普通、人はどこかで「申し訳ない」と卑屈になってしまって、介助する人に自分の我を押し通すことなんてできなくなる。だけれども、彼は正々堂々とワガママを言い続けた。

この本によれば500人以上のボランティアが彼についたそうだが、その誰もが彼に嫌気がさして、喧嘩をし始める。

鹿野さんはキレてしまったボランティアに必ず「帰れ!」と怒鳴る。

これがボランティアとして「一人前」になった証だそうだ。

何らかのマイノリティーである人は「善人」として振舞おうとする。それはちょっとでもいいから自分の属性にいいイメージを持ってほしいという気持ちもあるが、基本的に人と向き合うことはとても面倒臭くて、時間や体力や精神力を費やさなければいけないことを知っているからだ。
 しかし、「善人」として振舞っていくなかでいつの間にか、自分自身がどこかに行ってしまって、気づけば本気でぶつかってくれる人がいなくなってしまう。そんなことを気づいたとき、果たして、「善人」として振舞っていたことが良いことなのか悪いことなのか独りで悩み始め、結局、孤独は深まっていく。
 もしかしたら、鹿野さんはそんな陥りがちな孤独の落とし穴から少しでも遠ざかりたいと思ったのかもしれない。
 鹿野さんと富士山は同じようなものだと思う。本で読む分には「愉快で、自由を追い求めた人」だが、ボランティアとして働いていた近くの人たちにとっては「とんでもないやつ。」なのだ。だが、そんな差がいい。この世界に聖人君子のような人は存在しないし、障害者も人間なのだからワガママだって言う。
鹿野さんとボランティアの人たちはぶつかりあいながら、かけがえのない関係を築いていった。
そうやって、人間関係の面倒臭さを受け容れることがちょっと殺伐とし始めている世界を優しくするヒントになると思う。
 さて、この本であんにょんブログの新しい記事を書こうと決めたのは締め切り5日前の19時だった。
いつもは早い段階で本は決めているのだが、どんな本にしようか迷って、ようやく決めた。

私の「お疲れさまです。今回はこの本にします。」というメッセージを観て、担当者はこう思ったに違いない。

「こんな時間にLINEかよ。」

 

(金村詩恩)

 

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