インタビュー 朴昭熙さん

2018年06月19日

今回は、ハリウッドを拠点に活動している俳優の朴昭熙(パク・ソヒ)さんです。
「コリアンタウン」として注目される前から通っていたという新大久保で、一時帰国中のタイミングを見計らってお話を聞いてきました。

ちなみに、とてもラフな話し方なのは以前から知っている仲のためです。念のため…

 

 

――役者になろうと思ったきっかけは?

きっかけは特にないんだよね。
父親の影響で小さいころから映画が好きで、白黒映画もよく見ていたし、映画雑誌も毎月買って読んでいたけれど、役者になりたいと思っていたわけではなかった。
演劇で有名な早稲田大にいたけど、サークルに興味もなかったし。
でも大学6年間通って、就活はせずに身一つで自分ができることを探そうと思った時に、役者ならできるんじゃないかって。
香港映画が流行っていて「香港の俳優にいそうな顔」なんて言われていたり、妹が演劇部だったこともあった。

舞台をやってみようと思って、経験もなかったけれど、アングラ劇団の試験を受けたら受かった。
でも、劇団の停滞を感じて、半年くらいでやめちゃって。
ブラブラしていた時に松田優作の本を読んで劇団「文学座」を知って、高倍率の入所試験に合格した。

研究生の時に、劇団「TPT」(シアター・プロジェクト・東京)の公演「BENT」の主役に抜擢されてデビューが決まった。
英米で活躍するロバート・アラン・アッカーマンの演出。「BENT」は米国ではリチャード・ギアが主演で、演出家も同じ人。
好きな俳優だったから、幸先良いデビューだと思った。

 

 

――その後も立て続けに舞台で大役を任されたんですね。

舞台がひととおり終わってから、外に飛び出してみようかと、半年海外に行った。
外国人だから日本にとどまるつもりはなかったし、もともと貿易とか外国に出る仕事をしたいと思っていて。
米国でNYの演劇学校に入ったり、撮影現場を見に行ったりしていた。

そうした中で、2007年に日米合作映画「ラーメン・ガール」に出演。ブリタニー・マーフィーの恋人役だった。
この時の功績で、米国のグリーンカードを申請することができた。

日本でも映画「パッチギ2」に出演したり、劇団「ザ・カンパニー」を結成したり、いろいろやった。
日本の芸能界で嫌な目に遭ったことはなかったけれど、在日だと公表していない先輩たちからはあからさまに避けられたりすることはあったな。

 

 

――米国へ拠点を移すことになったのは

日本の芸能界に行き詰まりを感じていたこともあったし、映画の影響で米国にあこがれがあった。
もともと、良くも悪くも何もしがみつかない性格。

2012年に完全に渡米してハリウッドへ。
それからはオーディションの毎日。
向こうは何もかもオーディションで決まる。
それが良いと思っていたんだけれど、逆に過去の実績も考慮されないから、フラットすぎて戸惑うこともあった。

CMのオーディションもたくさんあって、1日に3回とか。
米国トヨタのCMや、HSBCの広告は今も「空港で見たよ」と連絡をもらったりする。

一昨春は仲間を募って舞台「BLOOD」を上演。
日本の薬害エイズ事件がテーマで、小劇場なのにLAタイムズの批評家も観に来て、公演も延長するなど大好評だった。

ハリウッドで求められるアジア系は日本人役が多いけれど、パク・ソヒという名前だと回ってこない。
でも日本名で活動するのは身が切られる思い。保育園の時からずっとこの名前だから。
かといって、韓国語ネイティブではないから韓国人役ができるわけでもない。
試行錯誤しながらやっている。

 

 

――今やりたいことは

昔からあるアイデアなんだけど、世界のコリアンタウンを歩く映像を作れないかなと考えている。
東京、大阪、LA、中国の朝鮮族やロシアの高麗人、アフリカで活躍する韓国人宣教師や労働者たち・・・
そこに住む在外同胞たちにインタビューして、コミュニティーの成り立ちや生活・食文化をリポートしたい。

サンパウロとブエノスアイレスは服の問屋をやっているコリアンが本当に多い。
ローマやパリはコリアンタウンってほどじゃないけれど、パリは韓国料理のレストランは多いしK-POPも人気。
それぞれいろんな特色がある。

実は以前、寄稿(http://jbpress.ismedia.jp/category/spark)していたことがあるんだけれど、今度は文章だけじゃなくて映像で。
世界740万人の在外同胞をはじめ韓国文化に興味を持つ人々に楽しんでもらえるような作りにできたらと。

今、在日の仲間たちとブレストをしていて、クラウド・ファンディングを募りたいと考えている。
協力してくれる人がいたら、ぜひ一緒にやりましょう。

 

――青年会の皆さんへメッセージを

日本で韓国人が韓国人として生きていけるようにと言って、民族運動をしていた父を見て育ったから、俺にもそういう気持ちがある。
気持ちとしては、青年会LA支部長。もう青年会の歳じゃないんだけどね(笑)

 

聞き手 : アン・インジュ

1984年ソウル生まれ。1990年に来日、神奈川県で育つ。延世大学校政治外交学科卒。日本の全国紙に勤務中。お酒が弱くなったことが悩み。

   

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