アンニョン!インタビュー

元プロレスラー 長州力
(20号掲載)

今回のアンニョン!インタビューは、ご存知超人気プロレスラーだった長州力さん。私たちが極度に緊張する中、あっけないほど普通に、訥々と語り始めた彼の中の在日とは。

出会いがあってこそ

―プロレスラーになったキッカケというのは何ですか?

 僕がここまで来れたのは出会いですよね。僕の出身は山口県の徳山という所だけど、当時は自分がこの先どうなるのかとか、将来の設計は描けなかった。いろいろな場面で良い人との出会いがあって壁を乗り越えてこられたっていうのかな?自分一人では乗り越える力っていうのは持って無かった。
 プロレスラーになったのも出会いですよ。日本という国はね、オリンピック出場した後はハンデ背負うんですよ。大学とかでスポーツに打ち込んでオリンピック終わった後の保証をどうするのかと。韓国なんかはある程度の保証がなされる形があるっていうけど。僕の場合オリンピック終わった後、就ける仕事が限られていた。でも僕の場合、選択肢がたくさんあったとしてもサラリーマンは出来なかったでしょうね(笑)。四年間の体育寮生活が体に染みてましたからね。学生時代みんなが三年生位から就職活動してたけど、僕の場合毎日オリンピック目指して練習ばかりしてましたから。だからアマレスの延長みたいな感覚でしたね、プロレスラーになったというのは。プロレスラーになっての練習は確かに厳しかった。でもそういう苦しさというのは、どんな仕事でも同じでしょ?僕はこんなに体力あるけどサラリーマン務まるかというと無理(笑)。朝七時に起きて出勤して夜六時まで。無理ですね(笑)。

この仕事をする上で国籍とか関係ない

―青年会で普段在日青年と接していますと、様々な悩みや葛藤を成長期に体験しています。韓国人であることを周りに隠す、韓国人であることをマイナスに捉えたり、就職、結婚問題でも、日本人とは違う悩みがあると言えます。長州さんもこのような体験(経験)をお持ちですか?

 まだそんな風に思っていますか?それはご両親の体験からきてるのかな?
 僕は年が年だから、いやな思い出というのはありますよ。あるけども十八歳で東京にきて、スポーツ(アマレス)にひたすら打ち込んでたので、自分の中の韓国人を意識する、あるいは思い出させる環境が周りに無かったねぇ。(在日ゆえに)成長期に葛藤したとかいう記憶はあまりないんだ。いわば実力だけが物を言う世界で育ったからね。
 スポーツ界にもたくさん在日がいるけどやっぱり個人差があるね。すごい意識して在日というのを常に前に出して「俺はこうなんだ!」という人もいるし、それは見てて良いことだと思うよ。だからといって、それが出来ない人間がダメだとか、そういうものでもないと思う。ただ金村(元プロ野球選手)なんかはすごく意識してるね、見てたら。アキラ(編注.元プロレスラーの前田日明氏)ともそういう話(在日の話)はするよ。
 新日本プロレスの若手選手の中にも僕以外3人在日の選手がいるよ。ただ僕の考えだけど、この仕事をする上では、国籍とか関係ないと思っている。まあ、仕事上世界中を飛び回るから、ビザの取得とかでは多少面倒だっていのはあるけど。

―一九七二年ミュンヘンオリンピックへ出場した時などは韓国代表ということで何か感じましたか?

 ミュンヘンオリンピックのときも、最初から韓国代表での出場というのは自分でわかっていたし、帰化して日本代表としてとか考えなかったですね。とにかく自分の中では、オリンピック出場というのが大きな夢でしたから、それだけでした。
 ただずっと原体験ということでは、正直ある意味で嫌だなと思うことがありましてね。まず言葉(韓国語)が喋られない。韓国の文化や歴史もよくわからない。そして、自分の両親が日本に来てからの姿っていうのが記憶の中に鮮明にあるんですよ!その当時の在日が置かれていた環境というのが鮮明に!たしか当時、夜中とかに民団だと思うけど、学校のように韓国語を教えていたのですが、僕も一回か二回行ったことありますよ。でも最終的には続かなかった。両親が言葉を教えてくれる余裕があったかというと全く無かった。もう朝から晩まで真っ黒になって働いていましたから。その頃の在日の暮らしっていえば、それこそ廃品回収か、オモニたちがヤミ酒作って人夫の人たちにホルモン食わして収入を得るという、本当に厳しい暮らしだった。

子供たちのアイデンティティーだけはしっかりさせてやろうと

―厳しい時代でしたね。

 うん。ただ僕はね、変なこだわりとかいうんじゃないけど、別に帰化しようと思ったことも無いし。あまり深く考えたこと無いんだけど、結婚する時は同じ韓国人が良いなと思ったんだ。何故なのかな?自分でもよくわからないんだけど…。自分の心のどこかで同胞を求めていたっていうのかな…。
 でも、娘が帰化すると言っても特に反対はしないですね。本人がよく考えた上だったら。いつか国籍とかは関係無い時代、世の中が来るんじゃないかな…。今日、実は娘たちの面接日なんですよ。イギリスに留学させようと思ってまして。学校の最終面接なんです。親バカだね。さっきから結果が気になって自宅に電話したりしてたんですよ(笑)。
 子どもたちのアイデンティティーだけはしっかりさせてやろうと思って。留学とかさせれば僕よりも民族のこととか考えるんじゃないかなと。自分のルーツとかも考えるんじゃないかな。海外に出れば、当然韓国名で通さないといけない。だから、そういった意味で目覚めるんじゃないかなって。面白い変化が本人の中で起きるのではと。反対に僕が頭上がらなくなりそうですけど(笑)。

いろいろな分野で活躍を

―それでは最後に在日青年に一言お願いします。

 こうして在日の若者と接していると、何か自分たちだけの枠を作っていません?群れを作ってるというか。こうあるべきだという枠に縛られていうように感じる。在日の子たちは、礼儀正しくて親思いで、すごく頼もしいんだけど、外の世界に目を向けてる人って少ないように感じられて仕方ないんだけど?今はもう外にどんどん出られるんだから、色々な分野で活躍してくれたらと思う。せっかく生きているんだから色々な世界、人間を見たほうがいいと思いますよ。良い人間も、悪い人間も世界中一緒だからね。それは韓国人も日本人も同じ。


インタビューを終えて
取材に行く前までは、正直怖そうな人というイメージがありましたが、実際にインタビューをしてみると、時折見せる笑顔がとても素敵な優しい方でした。
取材を終え、帰り支度をしていた私たちのところへ「この子も在日だから誰か彼女を紹介してあげてくれ」と笑いながら、有名な若手選手を連れてこられたのにはビックリしました。

インタビュアー 劉龍義
写真撮影 金裕珠

 

プロフィール
本名 郭光雄
身長/体重 184cm/115kg
生年月日 1951年12月3日
出身地 山口県徳山市
血液型 O型
経歴
専修大学時代 アマレスで活躍
1972年 ミュンヘン五輪に出場
1973年12月 新日本プロレス入門
1974年8月 日大講堂のE・グレコ 戦でデビュー
1979年6月 坂ロと組んで北米タッグ王座に君臨
1982年4月 メキシコでUWA世界ヘビー級王座を獲得
1983年4月 藤波からWWFインタ ー・ヘビー級王座を奪取。同年5月より維新軍団を結成
1984年12月 ジャパン・プロレスを旗揚げして全日プロに参戦
1987年5月 新日プロ復帰
1989年7月 ヘビー級、タッグの IWGP 2冠を制覇
1996年8月 G1クライマックス初優勝を達成
1997年4月 佐々木健介と組み第30代IWGPタッグ王座に君臨
1998年1月4日 東京ドー ムで現役生活にピリオドを打つ
2000年5月22日 復活を表明
2000年7月30日 横浜アリーナで大仁田厚と因縁の有刺鉄線電流爆破マッチを敢行


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