「笑い」という暴力

2018年07月03日

「笑い」のない世界は嫌だ。悲しみと憤怒で彩られた風景ばかりでは、生きていくこともつらくなる。私たちは、笑うことで、苦痛を乗り越える。今日という日をやり過ごす。

だが、偏見から発せられる下卑た笑いはもっと嫌いだ。人を見下し、突き放し、小ばかにしたような笑いは見苦しい。いや、息苦しい。腹立たしい。

社会問題を扱うネットの情報番組で、自民党の国会議員らが大笑いしている場面を偶然目にしてしまった。彼ら、彼女らはジャーナリスト・山口敬之氏からの準強姦被害を訴えた伊藤詩織さんを”ネタ”に盛り上がっていた。「枕営業」「出世のために言い寄ってくる」。そうした言葉が飛び出るたびに、腹を抱えて笑っている。ひとりの女性が受けた深刻な性被害も、酒瓶が並んだスタジオでは”肴”でしかない。グラスを片手にゲラゲラ。”事件”のおかげで有名になったのだから「枕営業は成功したんだよ」とゲラゲラ。

醜悪極まりない光景に吐き気がした。いったい、何がそんなにおかしいのか。被害当事者を侮辱することが、そこまで面白いのか。

ここでは「笑い」は暴力だ。人間を傷つけ、貶め、嘲るためだけに笑っている。ただただ、おぞましい。

さらに、この番組を視聴しながら、同じように笑っているであろう者たちの存在を想像すると暗澹とした気持ちになる。そうしたネットユーザーの一部によって、詩織さんはますます追い詰められる。「売春婦」「売名行為」。ネットの書き込みが後を絶たない。おそらく笑いながら書き込んでいるのであろう。それが暴力であることの自覚もなしに。

思えば、右派・保守派を自称する人々は、いつも笑っている。取材現場で、このような「笑い」を幾度となく視界に収めてきた。

たとえば──在日コリアンの「追放」を訴えるヘイトデモ(在日差別を扇動するためのデモ行進)。「死ね」「出ていけ」とあらん限りの罵倒を、差別と偏見に満ちた言葉を在日コリアンにぶつけながら、彼らはいつも笑っていた。ヘラヘラと笑いながら高揚していた。ヘイトデモの隊列に参加する者たちは、人間の尊厳というものに何の関心も払わない。「笑い」は差別の道具として機能する。自身の尊厳すら奪っている。

沖縄で基地問題を取材しているときも同じだった。

辺野古(名護市)では、米軍の新基地建設に反対して座り込む人々がいる。その多くは高齢者だ。そこに、差別主義者や右翼が押し掛ける。

「じじい、ばばあ」と高齢者をバカにする者がいた。「年寄りばかりで臭いんだよ!」と、マイクでがなり立てる者がいた。「どうせオマエら、朝鮮人なんだろう」と怒鳴る者がいた。

そのたびに”襲撃者”たちの間から笑い声が沸き上がる。黙って耐える高齢者を指さしながら「言い返せないのかよ」と言っては、また笑う。

「笑い」という暴力で沖縄の基地問題を「番組」として作りあげたのは、MXテレビなどが放映した『ニュース女子』だった。

同番組では、座り込みする高齢者を「シルバー部隊」と揶揄し、「日当もらっている」「在日が関係している」「中国の影響を受けている」とデマを飛ばしながら、スタジオ出演者は大口を開けて笑った。

新基地建設に反対するために座り込みを続けているひとりが、私に訴えた。

「デマを流していることが許せない。ろくに取材もしていないことが許せない。でも、何よりも許せないと思ったのは、地元の年寄りを笑いものにしていることです」

沖縄戦では県民の4人にひとりが犠牲になった。いまなお身体に、心の中に傷を抱えた人も少なくない。消すことのできない記憶に苦しめられている人もいる。だからこそ、二度と沖縄を戦場ににしたくはないのだという思いで、多くの戦争体験者が座り込みに参加している。

同番組はこうした人々を嘲笑した。しかも、ありったけのデマと偏見を動員させて。さらにネット上では、この番組を称賛する者たちが、座り込む人々を「プロ市民」だと囃し立てた。

「私たちが何をしたというのか。沖縄が何をしたというのか。真剣に話をしても、一部の人々は笑い続けるのでしょう。面白おかしく、伝えていくのでしょう」

右派、保守派を自称する人々に問いたい。なぜいつも、見下した笑いで人を貶めるのか。なぜいつも、口元をだらしなく緩めているのか。

弛緩しきった「笑い」で社会を壊すな。性被害者である女性も、マイノリティも、沖縄も、笑われるために存在しているのではない。

 
安田浩一(ジャーナリスト)
 
1964年生まれ。週刊誌記者を経てフリーランスに。「ネットと愛国」で講談社ノンフィクション賞、「外国人隷属労働者」で大宅ノンフィクション賞(雑誌記事部門)を受賞。

   

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